日本においてグローバル化は成功するのか?(書評「中国化する日本」)

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

さてさて2013年もGWがやって来ました。ちょっと寒いですが皆さまお元気ですか。まあそれはさておき、今年も読書のGWということで前に買ってそのまま積ん読状態になっていた本を消化したので書評としてご報告しようかなと思います。

一部では新進気鋭の論説者と話題になっていた與那覇潤氏の「中国化する日本」ですが、その「あれ、これひょっとしてちょっと右寄りのアレな内容の本なのか??」と一部の人達を勘違いさせかねないタイトルとは裏腹に、中国社会のあり方を的確に捉えながら、その特徴を踏まえて日本社会のあり方を大真面目に考えた本で、大変楽しかったです。内容も別に高校で習うような基本的な日本と中国の歴史についての知識があれば十分に理解が出来るような内容です。でありながら、高校では一切教えてくれなかった日中両文明のあり方について考察を加えてくれる、読んでいてワクワクしました。

本書は、タイトルにもある「中国化する日本」つまり「現代の日本の社会のあり方が中国的なあり方に近づいていっているのではないか?」という大胆な仮説を立ててみた上で、その仮説の前提となる中国的な社会のあり方と日本的な社会のあり方の特色を比較検討し、その対照的な2つの文明の相克という観点から紀元1000年頃以降の日本の歴史を見ていき、これからの日本社会の行く末を考えてみようじゃないのという形で進められていきます。

そこで前提としてまず中国社会のあり方を歴史的に考えるのですが、中国文明の特色は「宋」(960〜1279)の時代に規定された社会のあり方がその後も現代までずっと中国文明を規定し続けていると考えます。
宋が作り上げた社会制度とは具体的にはこうです。

①貴族制度の全廃と皇帝独裁の確立
科挙に殿試を導入、皇帝の手足となる官僚を郡県制により全国へ拡散・転勤を行い地盤作りを阻止
②経済や社会の自由化を進める一方で、政治は皇帝の一元的な支配を進める
→青苗法等を通じて年貢の貨幣による納入を進める、運河建設などにより全国的な市場が形成される
③自由化された社会のセーフティーネットとして血族が機能する
→いわゆる「宗族」の考え方の発生。「遠くの親戚より近くの他人」の反対。

これらを更にまとめると次のようになります。

①権威と権力の一致(貴族を解体し、権力者となった皇帝は名実ともに絶対的な権力者となります)
②政治と道徳の一体化(儒教的な「徳」を体現する存在としての皇帝の地位が完全に確立されていった結果、政治的正当性=儒教的正当性となるわけです)
③地位の一貫性(②により、政治的にも儒教的にも「優れた」人間が力を持つので、「アホ」だけど社会的地位が低いというような逆転現象は起こらない)
④市場ベースの秩序の流動化(貨幣の更なる流通促進により従来の農村のあり方であった自給自足的な共同生活のための共同体としての農村は解体に向かい、商人らが地縁に関係なくネットワークを形成する流動的な労働環境が形成される)
⑤人間関係のネットワーク化(④により近隣の狭く深い付き合いよりも、遠くの人達との浅くて緩い繋がりが優勢となる)

あれ、これって別に中国に限ったことでも無いし…これに人権思想とか法の支配とか議会制民主主義とか付け足したら、これまさしく西欧化って呼ばれるような現象なんじゃないのって言う感じがしますが、そう感じた人は鋭いですね。中国化、って書いてますが、これ冷戦後の世界の潮流とそっくりそのままなんですよね。というより、グローバル化した社会は1000年前の東アジアに既に現出していたのであり、今グローバル化とかなんとか言われている現象は既に起きた現象の拡大版の焼き直しでしかないわけですよね。だから日本がアジアで唯一「西欧化」を成し遂げた(中国は(民主主義・法の支配等を除いて)既に「西欧化」していたのであり、今更できないから)といえるのです。

これに対し、作者は日本文明のあり方はまさしくこの中国文明の特徴を裏返しにしたような文明なのではないか?と考えます。具体的には日本文明の特徴として挙げられている以下の内容の通りです。

①権威と権力の分離(権威としての天皇と権力者としての武士という構造が歴史的に長らく続いてきており、また一般の会社でも実態としてはお飾りの社長のもとで複数の有力者により組織運営が行われているというケースが多々ある)
②政治と道徳の峻別(①を根拠に政治は「飯を食わせる、暮らしぶりをよくする」ことだと認識され、高邁な理想が掲げられることはめったにない)
③地位の一貫性の低下(「有能」な人間が社会的な地位も高いというわけではなく、むしろ低いことも多い)
④農村モデルの固定化(ムラの構造が江戸時代末期に至るまでがっちりと固定化され、近代化後もムラが会社に代わるだけで、人を特定のムラや会社に縛り付けて移動の自由を奪う代わりに、内部では比較的自由が保障される)
⑤人間関係のコミュニティ化(所属するムラや会社としての一人だとの意識が、他よりも優先される。例えば、自分が自動車の販売員だったとした時に、他社の販売員との繋がりよりも「ト○タ」「ホ○ダ」の販売員としての意識が優先される)

基本的に日本文明はこのような特徴を持つ社会として上手くやってきたのですが、歴史的に見ると平家政権と明治維新の2回、この性質をひっくりかえして中国的な社会を作っちゃおうぜという流れが起こっているのですが、不思議なことに日本人はこの日本文明の特色が大好きなようで、この試みはいづれも失敗してきました。
ところが、ここにきて新自由主義と相まって、「グローバル化」という名前で「中国化」が進んでいると作者は言います。確かにユニクロの施策*1とか見ると、そんな感じがしますよね。

つまりこの本を端的にまとめると「近年日本社会が直面している「グローバル化」というもののの本質は1000年も前に実はお隣の国の中国で発生していた現象であり、日本文明はこの「中国化」の摂取を意図的に避けてきた歴史的な経緯があるのにも関わらず、日本文明は平氏政権・明治維新に続く3回目の「中国化(グローバル化)」を迎えている。果たして本当に日本文明は今度こそ中国化してしまうのだろうか?はたまた1000年前、200年前に繰り返されたように、自発的な試みはやはり失敗するのだろうか?(そしてこれまでと違い失敗した時には当然これからの日本文明のあり方には必ず国際機関が介入してくるはずであり、そうなった時にはやはり日本文明は中国化してしまうのだろうか?)」というお話なのです。どうですか、簡単でしょ。

さて、これからの日本社会、一体全体どうなるんでしょう。

ぼくはこういう意味でのグローバル化は成功しないと踏んでますが、皆さまはいかがお考えですか。*2

*1:ファストリ、世界統一賃金 海外強化へ人材確保狙い http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130424-00000114-san-bus_all

*2:世の中面倒くさいことばっかりなのでとりあえず金ためてさっさと別の社会に移りたいですハイ