芦部信喜がかけた魔法が解ける日

安倍晋三首相が国会で「芦部信喜?誰それ?」と言ったとかなんとかがニュースになってて、なんかネットでヒステリック的に芦部先生信者が吠えまくっているのでチョロっと書いてみることにしましたよ。

■芦部センセイって誰やねん
そもそも憲法勉強したことがない人が「芦部信喜」って誰やねん、ワイは知らんぞってなるのはごもっともです。参考までにWikipedia先生によると…(詳細はググレ)

芦部 信喜(あしべ のぶよし、1923年9月17日 - 1999年6月12日)は、日本の法学者。専門は憲法学。学位は法学博士(東京大学・1962年)。1990年日本学士院会員、1993年文化功労者。1986年から1992年まで日本公法学会理事長。全国憲法研究会代表、国際人権法学会理事長等も歴任。著書『憲法』(岩波書店)は代表的な著作であり、ロングセラーとなっている。称号は名誉教授。軍在籍時の階級は陸軍少尉。長野県駒ヶ根市出身。
「自由の基礎法」として近代憲法を位置付け、日本国憲法における統治機構の原理及び人権保障のありかたを理論的に考察した。


とのこと。超偉い。超社会的ヒエラルキー高い。そうなのです、芦部先生と言えば法学部に入学した人間が右も左も分からないうちに取らされる憲法の授業で買わされる本に必ず名前の出てくる、超有名なセンセイなのです。おそらく憲法の授業を取らされて一応教科書を読んだ人なら(覚えているかどうかは別にしても)一度は目にした事がある、そういう先生なのです。

他の学問をやってらした方の中には「別に学説や論文の中身を覚えておけばいいわけで、提唱した教授の名前まで知らなくてもいいじゃんかー」って思われる方もいるかもしれません。
ただ、法律学の場合、そうとも言ってられないんですよね。法学ってちょっと他の学問と違ってるところがあって、答えが一通りに決まらないんですね。特に憲法は条文が100ちょっとしか無い上に、抽象的な文言が多いが故に文章をいかに具体的な国家機構の形として動き出すような形で解釈していくかということが大きな課題になり、様々な解釈が試みられることになるんですよ。しかも、法律学って体系的にできているので、あたかもエロゲーの分岐のように、ある条文のある論点でAという学説を取ると、それが他の条文の解釈の幅を決定してしまうという傾向があったりするんです。だから、逐条解釈が必要+その解釈を前後矛盾の無いように組み合わせて体系的に整えるという性質が法律学には出てくるんです。
そして芦部先生レベルの超有名かつ優秀な先生だと、憲法という大きな法律全体を全て自分の学説で再構築するという完全に人間離れした技を成し遂げちゃったりします。こうなってくると、同じ「憲法」というタイトルがついてても、A先生の主張している憲法論とB先生の主張している憲法論は別の学問なんじゃないのといっていいほどの別物になってしまって、「○○(先生の名前)憲法」と呼ばれる状態になってしまうんですね。こういう有様なので、ある先生が提唱した学説にその先生の名前がそのまま出てくるという法学の因習と相まって、憲法を勉強しているといたるところで「芦部説」に出くわすことになってしまうのです。法学クラスタは何も芦部信喜の名前を覚えようとしているわけではありません。憲法を勉強していると、勝手に芦部信喜の名前が刷り込まれてしまうのです。*1こればっかりはしょうがありません。現行憲法に与えた影響が大きすぎるのでですから。まあ要するに日本史で言うと、徳川家康って名前を覚えようとしなくてもその後で何度も徳川徳川って出てきて結局覚えてしまうのに似ています(え。

そういうことで、芦部先生は日本国憲法そのものと言っちゃっても過言ではないのです。こういう現状で、「芦部先生って誰?」って言っちゃうのは、相当にヤバイという感じが法学クラスタの意識の中にはあるのです。ここんところの意識はなかなか共有しにくいところではありますが。(学んできた学問によっては、学問の解釈が学者の人となりに委ねられるなんてありえない!法学は本当に科学なの?!って思われる方もいらっしゃるとは思いますが、世の中そんなもんです。そういうものなんですってことで納得したふりをして次に進んでいただければと思います。)

■芦部先生が凄いのはわかった。でもなんで名前を知らないといけないの?
そう、そこです。芦部先生を知らないのはモグリなのはわかったけど、名前を知らないだけでそこまで叩かれる必要があるの?ってことですよね。
結論から言いましょう。大アリです。なぜかって?それはひとえに芦部先生は憲法改正を行う権力をどう考えるか」という事を追求していたからです。憲法改正を目標の一つにしているらしい政治家センセイがこのことを知らないというのはちょっと頂けません。

憲法改正の権力とは?
我々は普段憲法の存在を意識していません。ましてや改正なんて意識したこともありません。現行法上の手続きだけキチンと踏んでたら(なんか中学校の公民の授業でやたらネチネチやるアレです)国民が賛成したことだし、別に中身は何でもいいんじゃないの?って思ってる人が殆どでしょう。
ところが、芦部先生は違います。先生はこう考えました。

日本国憲法草案は確かにGHQ初め日本国民ジャナイ人たちが作っちゃったものかもしれない。でも日本国民の代表たる国会はそれを確かに審議して、法律として成立させた。だから日本国民がそもそも持っている、「憲法を制定する権力」が発現したと見るべきだろう。そういう憲法の中に、国家を通じて間接的に国民の権力も制限する考えが憲法改正の条項にも含まれている。つまり、国民は憲法を制定する力を持っているのだが、それは日本国憲法においてはそれすらも制限を受ける、と。具体的には日本国憲法で確認された根本的な原理*2(基本的な人権の尊重とか公共の福祉の考え方とか)を覆すような憲法は、現行の憲法改正の枠内では出来ないと。それを超えるようならそれは単なる革命ですよ、とね。

なかなかロックですよね。芦部先生によれば、「憲法の根本の部分」を変えるような内容の法律はもはや憲法改正ではないそうです。でも某与党の憲法改正案は憲法改正の枠を超えてしまいそうです。こうなると革命ですね。まさか目の黒いうちに革命なんか起こりそうだなんて思っても見ませんでしたよ、私ゃ。
要は、今回みんなが寄って集って叩いてたのは、憲法改正しようぜ!」と10年以上言い続けている某政治家が実は単に革命綱領をよく知らなくって、自分が政治家じゃなくて革命家だってことに気づいていなかったのが超絶お馬鹿っぽく見えるということに尽きます。だってアホな革命家って格好悪くってシラケちゃいますからね。

■魔法使いだった芦部先生
まあ冗談はさて置きって感じですが、本当はもっと別の問題にあるような気がします。要するに芦部先生は「国民主権と言っても何でもかんでも国民ができるわけじゃないよ。歴史的に国民の生命や自由を守るために実現されてきた諸価値、これは現行憲法下では改正できないよ。なぜって、これらの価値は歴史的に重要性が確認されているし、たとえこれらが重要じゃないように思われたとしても人間の理性なんかいくらでも誤認するもので信用できたものじゃないから、これらの価値を捨てて新しい価値を生み出せるようにはとても思えない(し、そうしようとしてこれまでいろんな国民が失敗してきた)からさ。だから国家権力そのものを憲法の規定でガチガチに縛り上げるのよろしく、国民の憲法制定権力そのものにも制限をかけないとダメなのさ。そうしないと僕たちはきっとまた愚かな過ちをすることになる。でも社会を規定するソースコードである法律上でしかそう拘束することは出来ない。まあぼくは法律家だしね。社会の仕組みそのものをぶっ壊してしまうような革命が起こったら、それは仕方ないんだろうね。」って言ってるわけです。
格好いいねえ、芦部センセイ。感動するよ。芦部先生は革命やるなら俺のかけたトリックを全部攻略してから行けと、とそう言ってるんですよね。それだけの根性を入れて革命してこい、と。ぶっちゃけそのことだけに命をかけていったと言っても言い過ぎじゃないくらいに、全力を尽くしていったんだと思います。

かくして芦部先生はこういう方法で日本社会に様々な諸価値が根付くように魔法をかけていったわけですが、この魔法が時の権力者の一声でぶち壊されるわけです。

芦部信喜?誰それ?」

(ざんぼっとさんの心の声:え、そんななし崩し的に革命しちゃっていいんですか?w(ドン引き))

ここにきて僕たちは芦部信喜っていう超天才が、歴史から人類が獲得してきた諸価値を尊重しつづける社会をつくるためにこしらえてきた様々な魔法が、実に脆いものだったんだということに気づいてしまったのです。確かに自然法的ナニモノカとか根本規範という考え方はものすごくよく出来た作り話ですし、学者や学生を魅了するだけの十分な力があったのですが、「そんなの関係ねえ!」とばかりにワイワイガヤガヤやりだした政治家の方々を、もう止める力なんて無かったってことをこの1件は白日の元に暴きだした、そうとも言えるのです。あの人達はそのことにビビってるんですよ。だから僕達は寄って集ってそのことを気づかせるモノを今日も叩くのです。

じゃあ、僕たちは芦部先生がかけていったのと同じ方法でもう一度魔法をかけ直すのか、違う方法で魔法をかけるのか、あるいはこのままなし崩し的に革命しちゃうのか。いろいろ選択肢はありますが、それを書くには時間と紙面に余裕がありませんのでまた今度にしたいと思います。

どうでもいいですが、ちなみにぼくは芦部先生が主張してる自然法的なナニモノかを文章にして定めるだけでそこまで絶対視できるわけないでしょ、っていうか所詮それも人間が考えたものの一つとして相対的な価値しか無いわけだし、にもかかわらずそういうレトリックを使うって相当に困難だよねって相当冷めた感じだということは一応報告しておきます。

*1:これに加えて、特に憲法みたいに条文が少なくて解釈命みたいな法律は、解釈の背景にその人の価値観だとか哲学が大きく影響してくることも少なくありません。こうなってくると芦部信喜の人となりを知るということも立派な憲法の勉強になってきます。他にも憲法で有名な先生で佐藤幸治という先生がいますが、この人の考え方と芦部先生の考え方は混ぜるな危険です。最悪爆発します。頭が。

*2:そもそもどこまでが根本原理だって言えるのかってのが難しいんですけどね。歴史の集積が待たれるわけですが。