社会派アニメの到達点・東のエデン劇場版の感想(ネタバレ含む)

ちょっと前のことですが、先輩たちに誘われて見に行きました。面白かったです。
実は「東のエデン」と検索すると、「社会派アニメ」っていう分類で表示されるようで、定義は不明確なものの「社会派アニメ」という分類は確かに存在しているようです。そこで社会派アニメについて若干思ったことがあるので、ちょっと書いてみようと思います。

■社会派アニメの意義
自分の中で社会派アニメっていうと、実在の国や組織が登場して、現実社会でも問題になっているような事象についてストーリーが展開していくようなアニメ、って考えています。であれば、やはりあえてそのような題材をあえて扱ったわけですから、現実社会に対する問題提起・解決策の提案はして欲しいなあ、って思うわけです。やらないなら、他の題材で良いじゃんwって思ってしまいます。変に思われるかもしれませんが、ぼくは社会派アニメそのものに作画がどうこうとかアニメ固有の良さを求めているのではないのです。むしろ、社会をある種ドラマチックに描く物語としての役割を重視したいのです。ぶっちゃけ、ぼくはこのアニメのいわゆるセレソンゲームのルール解釈とか伏線とかはどうでもいいんですよねw


■社会をわかりやすく見せるための物語の必要性
これだけ社会が複雑化してかつ解決すべき問題点も多くなっているのにも関わらず、社会をわかりやすくみんなに伝えるような物語がそもそもできるのだろうか?という根本的な問いは別にしても、そのような物語はどの時代も一定程度要請されてきたし、これからも要請されると思うんです。そういう「社会派作品」の流れの中で、今までその表現方法が小説だったりドラマだったりしたものがアニメという媒体でも行うことができるということを証明したのがこの作品のすごく良かったことです。
ぼくは最近忙しくて小説とかドラマとかあんまり・・・と言うかほとんど見てないので、小説・ドラマ等でも「社会を見せて問題提起をなし、物語の中で政治学や法学、哲学の知識を与えるような物語」があるのかどうかははっきりとはしらないんですが、ないのであれば、このアニメの存在意義はより大きいものだといえます。

別にこのアニメに限らず、攻殻機動隊なんかも見てるとレオ・シュトラウスの影響を受けているのではないかなって思いますし、作られている方々は政治学とか法哲学についてすごく良く調べられて作っていられるのではないかなあと思ったりするわけです。攻殻機動隊などは専門書の形態をとっていないというだけであって、作品で実際に扱っているテーマはそれだけで論壇に論争を巻き起こせるようなとても深い内容です。そういう深遠なテーマであっても、アニメの形をとれば専門書のような堅苦しさや学問的な厳密さもないので、普通の人にもとてもわかりやすくなっています。
そして、レオ・シュトラウスみたいな普段触れることのない天才の思想の一端にでも触れることが、啓蒙や実際の様々な活動につながるんじゃないかなって思います。東のエデン的に言うと、このような現実の社会・政治をわかりやすく見せる物語を見ることで、みんなが一定のイメージを共有できて、それがこのアニメの中心テーマに据えられている「この国を覆う閉塞感」を取っ払う事にもなるのかもしれません。(となると、さしずめ神山監督は「この国の王様」って事なんでしょうかw)

確かに現状を見てみると、そういう作品があったからと言って実際に何かしらの社会変革運動を起こすとも思えませんが、社会全体の知識や意識のボトムアップのためには必要な作品でしょう。


東のエデンの問題提起(ネタバレ含む)
このアニメはそういう観点で言えばよく出来ていると思います。とにかく、この物語の「現代社会への問題提起→解決策」への流れは面白いです。話の展開にも疾走感がありますし。
そして、このアニメの中だけでも多くの問題提起がなされています。問題が多種多様で数も多く纏め切れないほどです。まるで、複雑化し膨大な課題を抱えた現代社会を象徴するようでもあります。全部は無理なので一つだけ取り上げてみます。
劇中でも映画の中でも「上がりを決め込んだ大人」・「既得権益層」という言葉が何度も出てきます。難しい言葉ですが、これからの日本社会が(移民政策でもとらない限り)人口減少と高齢化のダブルパンチで急速に衰退していくことは自明なのであって、それらを回避するような政策を取っていかなければいけない、具体的にその政策とは労働流動性を高め労働生産性を上げることであり、現在既得権益層として存在している人たちを非暴力的に引きずりおろすことが不可欠なのだという立場に立つと若干わかりやすくはなります。
この立場にたって問題を解決しようと思うと、非常に解決が困難です。というのもこの見解にたてば、社会には既得権益層がかなりの数存在し、それは効率の悪いいわば無駄なことをしてお金を稼いでいるという現状を前提として、国にお金が無い以上そういうお金の稼ぎ方はもうできない以上、無駄を省いていかなければならないから既得権益層を排除しなきゃいけないという発想から出発すると、最終的には既得権益者たる正社員の地位を落とす、つまり会社の福利厚生等をすべてなくしていって、ベーシックインカムのような極めてシンプルな発想で国に最低限の保障をさせるという「普通の人にかなりの不利益をもたらすような解決策」をとるという結論に帰着する可能性が高いからです*1(というか、解決策をとるにしろ取らないにしろ不利益は被るとは思いますが)。そこまでの自己犠牲を払う気がなければ、この問題は解決しませんし、「上がりを決め込んだ大人」が「既得権益層」としてたくさんいるままでは、解決不可能です(映画本編でも「相続税を100%にする」法案の話が出てきていました。これも既得権益層を排除するガラガラポンなのでしょう)。

とすれば、問題解決のためには人々の多くを占める既得権益層に嫌われてでも彼らに負担を課そうとする人間が必要になってくるのですが、その登場は社会構造的にはなかなか厳しいものがあります。

ややこしい話になってしまいましたが、結論からいうと、この国は現在解決するためには今の国民の多くが犠牲を払わなければいけない問題が山積しているのにも関わらず、国民の多くが犠牲を払う覚悟をしているとも思われず、問題の解決策は提示されているものの実行に移されないまま、ゆっくりと衰退していっているではないか、と。そして、そのことに気づいている人も多いけども、そのような解決策を自分の手で実行に移すためには、直接的には自分が多くの人に犠牲を払わさせることになるわけだから、そういうババを引かされたような立場には誰も立ちたくないと思っている、ということです。

そのことがこのアニメの問題提起だと思うわけです。はい。


■解決策はどこへ行った?
では、この問題提起に対しての解決策は提示されているのでしょうか。これに対しては、漠然としか提示されていません。TV版の最後では瀧澤くんが「ぼくをこの国の王様にしてくれないか」と言っているように、彼はババを引かされたような立場にたってでも「2万人のニートを直列につなぐ」という解決策でこの国をミサイル攻撃から守ろうとしました。確かに現状の打破のためには、嫌われてでも誰かが王様としての立場を引き受けるしかないと言っているようにも思えます。
そういう観念的な部分は正しいとは思うのですが、ただ、2万人のニートをいかにして直列につなぐのかというところが不明確なように思います。これだけ複雑化した社会に対しての問題の解決策などやはり専門家しか持ち得ないのだから、映画で細かく表現できないという点こそ現実社会をよく表しているのだといえなくもないですが、やっぱり不満ですw
そもそも、解決策によっては「誰かひとりが嫌われることを覚悟で解決策を実行し社会を守る」というやり方でなくてもいいかもしれません。本来、実行することの内容と手段は密接な関係があるはずです。ならば、ひとりが全部を背負いこむことなく皆が互いにコミュニケーションを取り合い、現状・解決策を認識しあって、損失の公平な分担を実現していく、そういう方法もあるのではないでしょうか。それこそ、作中に出てきた「東のエデン」システムっていうのはそういうコミュニケーションツールとしても使える可能性を秘めているわけですし。

もしかすると完全解に近いものを劇場版2で提示していただけるのかもしれません。とすればとても嬉しいです。瀧澤くんが記憶を消して何度も解決策を提示できるように設定されているシナリオも、多分いくつかの解を提示するためのものだと思うんですよね。期待したいです。


流れと関係ないですが、登場人物の、あの悪そうな元官僚の物部さんは劇場版の中の元総理との電話の中で「内務省復権」とかいうことを言ってましたが、これだけ双方向に互いの情報を発信し様々な知識が偏在している今の時代に計画主義は多分無理です。諦めましょう(笑)


■最後に
これだけ技術も進んで様々なところで革命的な革新・進歩が起こっているのに、社会の問題だけ「閉塞感」に覆われて解決できないというのも変です。新しい技術を取り入れてパラダイムシフトすれば解決の一端も見えるのではないかなあ、なんて思います(適当すぎるw)。TV版のエンディングでは瀧澤くんは現代のドン・キホーテとして生き、記憶を消して瀧澤朗としては「死んで」しまいましたが、必ずしも彼ばかりがババを引く必要はないです。問題を解決出てもできなくてもどちらにしろカタストロフィーが確約されていてみんなで損失を分担しなきゃいけないと言うのなら、その仕組みを決めるのもみんなでやるべきで、いわばみんなでババを引くべきです。そういう結末を劇場盤2では見てみたいし、現実世界でもそういう世界を生きていたいです。
あと、このアニメは最初に言った、社会全体への啓蒙という点では十分に高い域に到達しています。東のエデンノイタミナ枠ではこれまでで一番いい視聴率をとったという事ですが、そうであればこの作品のテーマにも個人レベルで関心をもっている人は相当数いるはずです。それが具体的な活動につながらなかったとしても、普通に暮らしているだけでは関心を持たないようなテーマに関心を持てるようにしていることがこの作品の一番の役割でしょう。まあ、この文章の書き手のような大学でちらっとかじった知識から思いついた社会理論を展開している子供をわくわくさせるという効果もなくはないですがw*2


ほんとに最後にサラッとアニメの感想らしいことを書いておくと、
・最初の1時間は総集編というか流れ整理とかまとめの時間
・病院を立てたじいさんは実は生きていた
ジュイスが可愛くなってる!
・本作は明らかに自作へのつなぎであって、いかにもこれからだ!みたいな感じで第1部は終わる
・なんだかんだ言ってパンツはいいやつ
・見に行ったときは女性も結構多かったが20代男性がやっぱり多い感じ
ですかね。

*1:ぼく個人の意見とは関係ないです。念のため。

*2:大学で学ぶ学問の多くは中2病の延長です。