「サブカルチャー全般を審査する倫理機構」を作りませんか?

非実在青少年関連の話題。もうさ、正直、いろいろなところで言及されているから今更もういいよ・・・みたいな、食傷気味です・・・みたいな意見がたくさんあることは十分承知しているんだけど、マイミクのMさんと話している中で面白い話を思いついたから書いてみるよ。ちなみに、これ以降出てくる「サブカルチャーを統一した倫理機構」という組織の提案はMさんがしたんだけど、それ以外はぼくの個人的な意見だから、Mさんを見つけて叩くのはお門違いだからそれだけはしないでほしいよ。

で、ぼく自身この問題はいろいろな側面から切ることができるから、このブログの中ではどういう側面から切ってみたらいいのかよくわからなくて今まで結構口をつぐんできたことも多かったんだけど、ここでは「何らかの規制は逃れられないので、規制をどうするか」みたいな側面から論じたいと思ってる。前回の日記にもちらっとネタふりをかましておいたんだけど、ぼくはあくまで法律による表現規制は最後の手段だと思っていて、この事例では必ずしも最善の手段ではないと感じているわけだよね。そういうところから話をしたいなあ、と。

まあ、たまには法学部っぽく「当該条例が関係する事件において、当該条例の違憲審査を求め、違憲に持ち込むための戦略作り」みたいなことをやっても面白かったのかもしれないけどさ、そもそもその分野も不勉強だし、このブログはみんなで表現の自由の制限の論証を覚えて試験に受かりましょうみたいなことをやるブログでもないからね、それにおもしろくもないしね、ということでやめました(笑)twitterともネタかぶりしちゃうしね。


まあ、そんなこんなで、話を進めたいと思うわけだ。

■規制の必要性
まず今回話題になっている規制を見てみる。
漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案 (1/2) - ITmedia NEWS
読んでみるとポイントは以下のようになります。

・東京都当局が青少年に悪影響を及ぼすと判断した“不健全な作品”(いわゆる不健全図書)の販売を規制する
・暴力描写などの反社会的表現を含んだ作品への規制強化と共に、児童ポルノ撲滅運動の一環として「非実在青少年」による性的表現を含んだ作品を対象にする
・「非実在青少年」とは、漫画やアニメなどの登場人物のうち、服装や所持品、学年、背景、音声などから18歳未満として表現されていると認識されるもの、をいう
・創作物とは、漫画、アニメ、ゲーム、映画、小説をいう
・成人向けから一般向けまで全ての作品が規制対象

こんなところ?難しいよね。
つまり、あらゆる創作物の18歳以下っぽい人が暴力行為、性的行為といった「不健全な行為」を行っているシーンがあったら、販売できなくなりますよ、とらしい。文面上は販売できませんよって言ってるだけだけど、販売できなかったら印税が入らなくて大赤字になるわけだから、実質的にはそういう表現そのものを規制するのと同視できるわけだ。
ということは、この条例は表現の自由を侵害する法律だとしてとらえるべきなのだろう。

こんな規制が出てくるのはさまざまな背景や原因があるんだろうけど、海外からも「日本は児童ポルノ大国」とか言われちゃってたりしてることが背景にあって、規制を強めなきゃね、みたいな話になってるんじゃないかな・・・と推測。もっとも児童ポルノ大国というのは、創作物を含めた時の話なんだけどね。確かに、日本はほかの先進国に比べて児童ポルノに限らず、あらゆるポルノや暴力表現が氾濫しているわけで、このような無秩序な氾濫は「青少年の健全な育成」の障害となるという意見には同意できる。これを減らす必要性は高いといえる。

もちろん、ぼくは児童ポルノは法的規制の対象であるべきだし、実在の子供が性的搾取の対象になっているのは悲惨なことで救い出すべきだと思っていますよ。でも、そういう実在する人物のための法的規制と創作物内の架空の人物に対する法的規制は性格が別なわけだよね。
たまには法学部っぽいことを言うと、刑法各論とかでやるけどさ、保護法益というのがあってね。保護法益っていうのは、法律で守るべき利益ってことなんだけど、その種類には個人的法益・社会的法益・国家的法益の3つがあると言われてる。3次元の児童ポルノの規制というのは、それによって守られる利益(保護法益)は性的搾取の対象になっている子どもそのもので、個人的法益に分類される。ところが、2次元の児童ポルノ規制というのは、個人的法益とは違って、そのような表現は社会を道徳的に堕落させるとかなんとかだから規制するっていう、いわば社会的法益を守るために作られるわけだよね。

保護法益の種類が違うのに、いっしょくたに論じられちゃ叶わない。というのも、保護法益が変われば規制の態様も方法も変わりうるからだ。場合によっては、法律による規制ではなく「自主規制」といった法律によらない規制のほうが規制としてより適切な場合もある。
少しまとめると、3次元の児童の人権を現実的に侵害する行為は法的規制がより適切だと考えられるが、2次元の場合には公序良俗を維持するために規制すればいいのであるから、法的規制が正しいのかは考える余地があるよ、と。基本的に法律による規制は、規制範囲をどうしても広げてしまう方向になりやすい。今は準児童ポルノを規制しますとなっていても、それがだんだんと他の子供に対して見せたくない表現や、社会で隠しておきたい表現にまで拡大することだって十分考えられる。道徳的・倫理的な内容を法的規制の対象とするのは、単純なようで実は結構厄介だ。


■規制目的について・「健全な育成」とは
上段で考えてきたように、今回の条例改正案の目的は「青少年の健全な育成」にある。彼らは以下のように主張している。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/02/20k2h102.htm

つまり、彼らの「健全な育成」とはこうだ。大人が定めた「青少年の健全な成長にとって不適切な情報」については、インターネットのフィルタリングや創作物に対する規制を通じて、青少年がそういった情報に触れないように社会を設計する。そして、「不適切な情報」のない世界で青少年はのびのび育つ・・・
そうだとすれば、今は表現規制の対象が「非実在青少年」の暴行とか強姦とかの行為を規制しているだけのものが、創作物内での大人の暴行や性的行為といった行為すべてを青少年の目の触れないところに覆い隠してしまう方向に規制対象が拡大するのもありがちっていえばありがちな話なんだろうと思う。

確かに、ぼく自身幼稚園や小学校に通っているようなまだ小さな子がいわゆる18禁表現を見るというのは好ましくないと感じる。例えば、自分の3歳の子供が獣姦動画を見ているような世界(今の社会はそれも十分に可能なのだ)は誰が望ましいと思うだろう?
しかし、いずれ彼らが旅立とうとしている大人の世界は、「青少年には与えてはならないモノ」で満たされている社会なわけだ。そこには隠されているさまざまな不合理な事情が横たわっている。利害関係や裏切り、男女間のもつれ、望まれない妊娠、どうあがいても乗り越えられない能力の差、貧富の差、精神レベルの差、国際的な労働力・性的搾取の構造・・・挙げていけばきりがない。そして、そういったモノを駆け引きの対象にしたりすることで、うまく社会の中で成功を収めることができるという部分もある。
ぼくは青少年の健全育成とは、そんな現実社会の問題をひた隠しにすることで作られる温室に彼らを置くことだとは思っていない。そもそも、子どもは好奇心の塊だし、大人が思っているほど恐らくバカでもない。彼らの好奇心・判断能力に応じて、さまざまな問題や不幸が渦巻く現実の社会を直視させること、そして彼らが彼らの判断能力に従って取捨選択し、社会に対する彼らなりの判断を出し、そんなどうしようもない社会かもしれないけどそれと向き合って日々生きていくことを学んでもらうこと、それが青少年の健全育成なのではないか。その結果、子どもたちの一部が「青少年の健全育成にふさわしくないもの」に染まったとしても、それは道徳や倫理の問題であって、社会設計や法の問題ではないと思う。もちろん染まってしまうのを食い止めるための努力は必要だが、それは「不適切な情報」を触れさせない社会にしたとしても、要らなくなるわけじゃないだろう。

と、まあ、成人してから日が浅く、子どもを持たないぼくとしては、自分の実体験として子どもの好奇心と判断能力に従って「不適切な」情報も段階的に徐々に開示していくべきだと思うわけだ。
ここまで来ると、それなら現実社会でいくらでもそういう現象に遭遇できるんだから2次元で触れさせる必要なんかないじゃんって考える人もいるかもしれないけど、現実社会で青少年のうちにそういうことに触れると、場合によってはそのあとの人生で回復不能なほどのダメージを負ったり、利害関係に拘束される恐れがある。その点、創作物ならその恐れはない。つまり、ぼくが思うのは創作物は世界を知って耳目を広げる有用な手段になるということだ。これを奪ってしまうのは問題だろう。


■あるべき規制の形とは
ここまで見てきたように、創作物上においても「青少年の健全な成長に不適切な情報」は無秩序に氾濫していて、規制の必要性は高いし、国際的な圧力も高まっている。かといって、創作表現の重要性や「健全な成長」の解釈、創作物の場合には自主規制が行うことが比較的容易であることから考えると、法律によって一律的に規制を課してしまうのは望ましい規制だとは思わないし、社会的な損失も大きいし、取り締まりのためのコストも高くつくんじゃないかなと思ったり。

さて、どういう規制が望ましいんだろうか?

何回も繰り返しているけど、規制すると言っても法律による規制がすべてではない。自主規制などの法律によらない規制方法も存在する。ただ、その自主規制が現状においては必ずしもうまくいっていないというのもあって、規制対象となるような表現が氾濫してしまっている。この現状に対してどう対応していくかを具体的に解答しないと、法的な規制は不可避のような気がします。

そこで、タイトルのような「サブカルチャー全般を審査する倫理機構」を作るのはどうでしょう?出版社とか作者とか学者とか巻き込んでやってみたらどうでしょうか?思いつきなので、詳しく考えているわけではないので、もっと具体的に答えろと言われると超困るんだけど、まあさ、そこは実務をやってる人たちじゃないとわからないところだらけだし、ぼくの想像力の限界を突破しちゃってる話だよね。
現状では、アニメの審査はBPO、ゲームの審査はソフ倫、と商品によって自主規制団体が変わっているから、「そのあたりを統一した大きな自主規制組織を作ってゾーニングもしっかりするから、法制化は勘弁してくれないかなあ」ぐらいが落とし所にならないかなあ、なんてね。

で、高河ゆん先生もtwitterで「ゾーニングをしっかりすればそれで十分」っておっしゃってたのは、まさにその通りで、組織が「ゾーニング」をしっかりすればそれで充分だと思うんだよね。どのようなゾーニングをするかは出来る限り表現の自由を保証したうえで社会通念に従うとしか言いようがないんだけど、例えば、「全年齢対象」・「13歳以上」・「15歳以上」・「18歳以上」とかと、「親の承諾書の要否」あたりを組み合わせるとかどうかな。
でも、これにも問題は多いんだけどね。

■自主規制の問題点
いろいろあるんだけど、問題の一つは自主規制よりも法制化を求める人たちがいるってことだよね。そのせいで自主規制には持続可能性が不十分。
もちろん今法制化を進めている人たちもそうなんだけど、問題はそれよりも子供を持つ親の多くが法制化を求めることになる恐れがあること。

まあ冷静に考えてみれば、親の気持ちはよくわかるんですよ。小さい時から子どもを見ていれば子育ての中でひやっとしたことも一度や二度じゃないはずで、子どもの判断だって十分信用できるとはいえないわけで。そしてやっぱり自分の子どもには「大人の世界の汚いとされるような世界」は見せたくないよっていう気持ちはよくわかるし。自主規制団体って何だか信用できないし。そもそも、子どもに「不適切な情報」を見せる裁量を与えるからには、親自身もそれに向き合わなければならないし、親自身そんな世界にどう向き合ってどう子どもに説明したらいいのかなんてわからないしね。そうなってくると、法律で『これはダメなものなんだ!』って言ってくれたほうが、子どもに対していろいろと説明しやすいしね。そりゃ法制化をしてほしいはずですよ。

たださ、だからって創作者の表現の自由を規制しちゃえっていうのはちょっとお門違いだとは思うんだけどね。

もう一つの問題は、いかにしてみんなが納得できるようなゾーニングの区分を作るかってこと。つうか、そもそもそんなもの作れるのかって話し。あるいは、作ったとしても個人にかなり裁量を持たせる形にするしかないって話し。いくらゾーニングしてもそれがみんなが不適切だと感じてしまったら、法制化への圧力はかえって強くなっちゃうしね。適切なゾーニングは、自主規制の意味を保つために必要不可欠なわけ。
ただ、この適切なゾーニングが難しいんだよね。ゾーニングなんて細かく区切れば、人の数だけ種類があるといいだろうし、どのタイミングでどういう情報に触れるのが適切かなんてそれこそ個別具体的な問題になってしまうから、なかなか難しい。多分みんなは一通り納得できる最大公約数的なゾーニングを作ると、結果として法制化したのと大して変わらない結果を招いてしまうことだってあるんじゃないかな。そこのところのバランスって超難しいんですよね。
常により適切なゾーニングの方法は探っていかないと、法制化の圧力はこれからもぽこぽこと出てくるような気がする。

確かに問題はあるんだけど、問題のない完全無欠な制度なんて作れないわけで、これは自由を保障しようとする場面では常に問題になってくる問題なんじゃないのかな?と思うので解消するのは困難というか、厳しいよね。自由と規制の折り合いは簡単につかないからさー



いろいろ喋ってはみたけど、このあたりでぼくの頭が追いつかなくなってきたのでこの辺で終了します(笑)

いろいろ考えてみるのは大切だよね。・・・にしても長いよなあ。誰がここまで読むんだよw