あずまきよひこ論

はじめまして。中大げんしけんのザンボットと言います。これからよろしくです。

これから自分が好きなマンガ家のひとりであるあずまきよひこ氏について自分の思うところを語ってみたいと思うわけです。

これはネット上に人の評価を匿名で垂れ流すという、いうなれば究極の自己満足です。しかしこれをやってみるのは諸方面からのお叱りも含めたコメントがこの記事を高めてくれると感じるからです。

能書きはこの辺にしてそろそろ始めましょうか。

あずまきよひこの世界観>
 あずまきよひこ氏は「あずまんが大王」や「よつばと!」を代表作とする漫画家です。独特の世界観や、ギャグなどが人気を博しています。
ここではその漫画について触れながら、良さを伝えていければ幸いです。(といっても「あずまんが」と「よつばと!」以外は読んでいないんですが・・・orz)


彼の作品には特徴が大きく分けて3つほど存在すると思われます。

1、登場人物のくせのなさ
2、マンガの世界としての完結

これらをまとめる考えが、

3、読み手にとっての理想的な世界の構築

ということになるのではないかと思っています。


1、登場人物のくせのなさ
 氏の作品では多くの登場人物が登場します。「あずまんが大王」では天才児で高校へ飛び級してきたちよちゃん(美浜ちよ)、いつもおっとりした大阪さん春日歩)、元気一杯で時には向こう見ずな智ちゃん(滝野智)、唯一の常識人であるよみ(水原暦)、ネコ好きでクールな榊さん(下の名前は不明)、体育バカで心やさしい神楽さん(下の名前は不明)など、ほかにもゆかり先生やにゃもなどが登場し、「よつばと!」では主人公である小岩井よつば、よつばの保護者となっているらしいとーちゃん、隣家の3姉妹、とーちゃんの友達のジャンボなど様々なキャラクターが存在しています。
これらのキャラに共通しているのが、一つのキャラに対して「その特徴を1行で表せるような」明確な記号がつけられており、それがいやらしさを持たない点にあるように思われます。例えば「あずまんが大王」では、ちよちゃんは賢いからと言って賢さをひけらかすようなことは決してしないし、一見つんとしてクールに見える榊さんもネコの前ではデレてしまうなど、それぞれのキャラが愛されるような特徴を皆が兼ね備えています。このような人物が登場することから、この漫画では6人がいがみ合ったり喧嘩したりという話はありません。(神楽は最初榊を一方的にライバルだと思っていたようですが、あくまでも「ライバル」のレベルであり、仲が悪いわけではないようです。)
 また、登場人物の性別が強調されないのも大きな特徴です。「あずまんが」にしろ「よつばと!」にしろ登場人物は女の子が非常に多いです。しかしこのことが話の本筋と結びつくことはほとんどありません。女の子たちの学園生活を描いたり隣人の女の子を描くのだから、少しくらいは恋愛みたいな性別を感じさせる話があってもよいものですが、前述のマンガにはほとんど出てきません。これは作者の意志が感じられると思います。現実にありがちな恋愛や人間としての複雑さをどんどんキャラから省いていき、結果として残った記号をそのキャラクターの明確な方向性として利用する、そしてそのキャラは優しさを兼ね備え(優しさを感じさせるという点で登場人物を女の子にした感じがします)読者に幅広く愛される様な性格を獲得する、ということがいえそうです。


2、マンガの世界としての完結
 次にあげる特徴はあずまきよひこ作品を流れる独特の世界観です。これらの作品は多くが「日常」がテーマとなっています。「あずまんが」では高校生活が、「よつばと!」ではよつばの生活がテーマとなっています。日常をテーマとして扱った作品はもちろんたくさんあるのですが、それらほかの作品と大きく異なるのが「あずまきよひこの作品は漫画の中だけでその世界が完結していること」にあります。
 思うに漫画では明確な時間軸は設定されないことが多いのではないでしょうか。「こち亀」ではいつまでたっても両津は警官ですし、「コナン」ではいつまでたっても小学1年生のままです(どんだけ留年してるんだ)。ここでは大人の都合とでも言ってらいいのでしょうか、明確な時間軸が設定されていません。すると読み手はどんなに漫画の世界について考えても、明らかにフィクションとしか思えない部分が出てきてしまいます。そのため読み手はマンガの世界は明らかにフィクションとしていわば「存在しない」ものとして認識しています。
 これに引き替え、あずまきよひこの作品は作品の中に時間軸が設定されています。「よつばと!」では1話分が1日に相当し、「あずまんが大王」では4分冊で高校3年間を通過することになります。また、舞台となる土地に関してもどこにでもあるようで、しかし架空の町を設定しています。もちろん、このようにマンガの世界についての詳細を設定することでマンガの世界は「現実」性を帯びることになります。フィクションであるところのものを、細かい設定を行い現実性を帯びさせていくことによって、逆に「フィクションとしての自律性」を担保している、といえます。
 このようにしてあずまの作品はフィクションでありながら、まるでこの世界とはまったく関係のない新しい世界を描いているかのような感覚を読者に与えることができているように思います。


3、読み手にとっての理想的な世界の構築
 この2つの大きな特徴から考えられるのは作者は作品を通じて「読み手にとっての理想的な世界」を作ろうとしているのではないかということです。つまり嫌みのない誰にも好かれるキャラクターを配置し、彼、彼女らが仲良く存在する世界を作る。本来ならばこのような世界というのはあり得ないものですから、どうしてもフィクションとしての性格が強くなってしまい、現実味が薄れてしまうものです。しかしここであずま氏は内容を変更することなく、逆にマンガの世界を細かく設定することによって、フィクションの世界をそれ自体で完結させ、非現実を「現実」に転換させることができたのです。
 この「新しい世界」は読み手の多くにとっての理想でもあります。苦しいことやつらいことは無く、周りの優しい人たちと穏やかな日常を過ごしていく・・・・そうやっていつまでもなかよく暮らしていく・・・・というような、理想的な世界を描いています。これは何も目新しい視点ではありません。むしろこの理想というのは、おとぎ話で「おじいさんとおばあさんはいつまでも仲良く暮らしました」というような、おとぎ話的な昔からあるなつかしい理想郷です。だからこそあずまきよひこの漫画を読むと、ほっとしてどこか懐かしい、そんな感じがするのだと思います。


なんて文章を書いてみたのだけれど、校正してないわ、接続がうまくいっていないわひどい感じです。
これを1回は会誌に載せられるレベルにまでもっていきたいと思ってますができるかどうかは未知数。ところで先輩、このブログ見てますか?