「虹ヶ原ホログラフ」浅野いにお

虹ヶ原 ホログラフ

虹ヶ原 ホログラフ

今回の作品は「虹ヶ原ホログラフ」。作者をして「こんな作品はもう書けないと思います。」と言わしめる作品、とはいったいどういうものなのか。
気になるところであります。

まず、非常に複雑な設定であるため何度も読み返しなくては話がわからないということがこの作品の最も重要なことです。
10年前と現在が複雑に絡み合います。残念ながら3回読んでもまだわからないところがあるみたいな気がしています。

10年前の小学生。転校生の主人公。クラスメイトから井戸の中に放り込まれて10年間意識を失い続けている少女。さまざまに悪意を持ったクラスメイト。それぞれの運命はもつれあって、10年後の殺人事件とそれぞれの新しい生活へとつながっていきます。
いうなれば、破壊と創造。

この話自体は、ひとは次々に死ぬし、非常に現実感の薄いもののような気はします(少なくとも自分の身近に殺人事件があることなんてありませんでしたので)。
しかしながらこの話がさまざまな面で我々にリアルな感情を惹起させるのは、話のきっかけとなる「いじめ」「うらぎり」「日常への無関心」といったものがあまりにも我々の日常に溢れすぎているからでしょうか。
この世界にも、作品の世界にも、きっと悪意は満ち満ちていて、それを無視していくことで一応の安定は保てるのだろうけれども、それは不意の出来事でいくらでも変化してしまうということを主人公たちはよくわかっています。そのことをよくわかっている主人公を含む登場人物達は何も信じていませんが、若干の寂しい期待を抱いて生きています。こんな話を理解できるという人にはお勧め。

自分には浅野いにおの登場人物は一緒に見えてしまうので(この作品の「木村」という女の子と「おやすみプンプン」の「田中愛子」と区別がつかないのです。)、絵のほうは何とも言えません。好き嫌いはあるかもね。

それにしても、唐突にゆがんだ表情のアップを多用する浅野いにおの描き方は、こっちを引き付ける力が半端ない。