闇金ウシジマくんの憂鬱

闇金ウシジマくん 15 (ビッグコミックス)

闇金ウシジマくん 15 (ビッグコミックス)

最初に申し上げておくけど、憂鬱なのはぼくであって、ウシジマくんではない。あしからず。

闇金ウシジマくんについては前々から、登場人物について語ろうって思ってたんだけど、今日はテストが一段落ついたから、時間を見つけて書いてみたわけです。さてさて、ウシジマくんの登場人物の何について語ろうかというのかというと、”個人の意識の格差”だ。

世の中にはいろいろな人がいて、それぞれ生きているわけだけど、そこで闇金のお世話になるっていう人は必ずしも多くはない。そうであるにもかかわらず、この漫画の登場人物は何らかの事情でお金が足りなくなり、そのために闇金を利用する。そして、行き場のないところまで追い詰められて、最後はトラックに飛び込んだりする*1のである。

どうして彼らにはお金が足りなくなるのかっていうのを読んでいくと、それはどうやら、生きるか死ぬかという事項ではないようだ。彼らはお金に余裕のある人ができることをしようとしたがためにお金がないという悪循環に陥っているように思われる。例えば、本編中に村田久美子っていうOLが出てくるんだけど、この人は結局見栄っ張りなのだ。OL同士の付き合いとか、自分の見た目とか、周りと張り合っていたいとか、そういう気持ちから彼女は消費を繰り返して、お金がなくなっていく(行きたくない飲み会に「お金ないんです!ごめんなさい!」って言って、回避しようとするぼくとはえらい違いである)。個人的には、彼女が不幸になったことには全く同情の余地はないように思われる。闇金にお世話になるのが、全員が全員そういう人だとは思わないけど、そういう人もいるのだろう(というかむしろ、今の世の中で本当に明日のお金が足りなくて生きていけるかどうかもわからない、というひとは、闇金にお世話になることすらできないのではないかと思ってしまう)。ぼくが彼らに対して考えてしまうのは、彼らが持っているそういう「闇金で借りればいいや」っていう思いを抱いたりするモラルの低さ、そういうものをどうして身につけてしまったのか、ということである。それは結局のところ、個人が持つ「意識」の格差というところに帰着するのではないだろうかと思ってしまう。


大学に通っていてと思うのは、学生たちの持っている意識は大学によって大きく異なるっていうことだ。誤解を恐れずに言えば、その大学にはその大学のレベルがある。環境にはそれだけ人を変える力があるらしい。
闇金ウシジマくんの登場人物も、そういうことなんじゃないかと思ってしまう。登場人物の一人の愛沢が「俺がこーなったのは金のせいだ!!俺の家がびんぼーだったのがいけねーンだ!」って言ってるけど、彼らはそもそもお金を好きに使えるようなうちに生まれてきたわけではない。彼らは、いわば、そういう階級に生まれて、そういう階級が持っている「意識」をそういう階級の人たちの中で自堕落的に養って、今まで生きてきたのだろう。彼らは自分が属していないグループの「意識」の在り方を知りはしないのである。

「貧困の再生産」が叫ばれて久しいけど、「貧困」が固定されないようにするキーは、「貧困」とされる人の「意識」を変えることも必要と思う。彼らは多分自分が属しているグループ以外の「意識」を知らない。外の世界にはいろいろなことがあることを知って、それをもって初めて「機会の平等」だって達成できるんだろう。ただ単に生活保護的にお金を与えているだけでは、もしかしたら機会があることすらよくわからないかもしれない。

多分「意識」を変えるというのは、ただ単に税金を分配して所得の再分配を図るよりもずっと難しい。単なる職業支援だけで終わるとも思えない。そこまで、社会的なシステムで入り込むことがそもそもできるのかという疑問もある。

うーん、ちょっと考えておきたい。

*1:愛沢の話