ハルヒはサイコロを振らない?

この前の「涼宮ハルヒの憂鬱 涼宮ハルヒの溜息5」の感想なんだけど、気になったところをピックアップ。

その前に、ちらっとこの前の話をまとめておこう。


この前の話のキーになってたのは、ハルヒに対する、古泉・みくる・長門のそれぞれの考え方の違いであった。

・古泉=ハルヒはこの世界を変える力がある
・みくる(一部長門の補足)=ハルヒはこの世界を変える力を持っておらず、この世界はそもそも今起こっているような姿であった。
長門=?(語らず)


これは未来に対する3人の考え方の差の帰結である。未来に対する考え方は、ハルヒに対する考え方の前提になる。

・古泉=未来は今の個々人の活動により変わりうるもの。ハルヒはそのいい例。
・みくる=未来はすでに決まったものであって、過去はその将来に影響を与えるものではない。未来人という存在がそのいい例。
長門=?

要するに、この話、決定論と非決定論の話なのである。決定論と非決定論の詳しい話は老いておくにしても(ウィキペディアで読んでもらうほうが、ここにうだうだ書くよりいいと思うし)、一応一行で定義だけ書いておくと、

決定論=あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、と考える世界観や仮説やパラダイム固定観念のこと。
・非決定論決定論の反対。

となる。

とすれば、発言的に

・古泉=非決定論支持
・みくる=決定論支持*1

となる。


では、長門は何なのだろうか?
長門は今回自分がどのような立場なのかを明言しなかった。そこでちょっと仮説ではあるが、考えるだけ考えてみたい。長門さんがキャラソンで「すべて必然♪」とか歌ってるのとか、いろいろなことを把握している点、あと「自立進化の可能性」とか言っている点で、個人的には、情報統合思念体は因果的決定論or確率的決定論に立ちつつも、ハルヒをその例外と考えているって感じなのではないかと思う。
因果的決定論とはウィキペディアによると、「いかなる現象もそれ以前の現象の単なる結果であり、この原因と結果の関係は因果律に支配されているがゆえに未来は現在および過去に規定されて一意的であるとする説」だそうである。これに関連して、ラプラスの悪魔っていう話がある。これを言いだしたラプラスさんの話だと、「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。」とのことである。この立場に情報統合思念体は立っているのではないだろうか。

つまり、情報統合思念体ラプラスさんが言う「ある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性」そのものなのである。いわば神的な存在。(そもそもそのような能力があっても、情報処理をタイムラグゼロで行うことができるのか、ということは問題になるけど、そこはアニメだし。。。)また、可能性として、そのような情報処理能力があるのだとしたら、確率論的決定論(確率的決定論とは、未来は因果律によってではなく確率によって支配されており、その限りで未来は決定しているのだ、とする主張)に立ちつつも、そのような確率でさえも、瞬間瞬間に選びとられていくものであるから、時間的には因果的決定論と差異がなく、確率的決定論をとったとしても、未来を完全に予測することも可能だと考えることも出来るだろう。
とりあえず、情報統合思念体はすげえのである。

情報統合思念体にとって、世界はあらかじめ決められたシナリオを進んでいくだけなのである。そこには、自律的に発達していくものは存在しない。情報統合思念体には自分がはじき出した未来と異なる結果を出すハルヒという存在が理解できない。ハルヒはなぜか自律的に進化していくのである。だからこそ、情報統合思念体ハルヒに自立進化の可能性を見出しているのであろう。

情報統合思念体が自立進化の可能性についてどうしてあんなにこだわるのかっていうのは、また別の話。(それこそ、神になりたいからじゃないの?って思うけどw)


まとめると、

長門決定論→例外的に非決定論

とでもいうことになろうか。
そりゃ、中庸の立場の長門が大活躍するはずである。




さて、この論争、現実社会においてももちろん歴史的に長い時間をかけて争われてきたものなんだけども、現在ではほぼ決着がついたと言って間違いないと思う。自然科学の面では、量子力学不確定性原理が証明されてしまった(不勉強なのでよく知らない。申し訳ない。当然証明とかも無理。)し、刑法の世界でも自由意思を持つことを前提とした応報刑論が一定の指示を得ている。そして何より、今の社会で一定の理解を得られていると言ってよい「自己責任」の考えそのものが、非決定論を支持している人が多いことを端的に示している。



むろんこの結論は、未来人などみたことのない残念で退屈な一般人の理解にすぎない。小説の世界とはまた別である。


もしかしたら、小説の世界は決定論が支配するのかもしれないし、その支配者がハルヒなのか、いわゆる神という存在なのか、それもわからない。そして、その神の能力も、すべての因果律を把握している全知全能かもしれないし、創造はするが、そのあとの自立進化には一切介入できない理神論的な神かもしれない。もっといえば、その神さえ唯一神とは限らない。多神教のように多くの神がいることも考えられるだろうし、イザナギイザナミのように、2人の夫婦のような関係の神も考えられるだろう。別にハルヒキョンって言ってるわけじゃないけどね。



しいて言えば、真の神は、作者しかいないわけで。
というわけで、続編よろしくお願いします

*1:書いてから気づいたけど、みくるって前に未来と現在は関係ないって言ってたっけ。そしたら決定論者ですらないな。\(^o^)/