感情や道徳

感情とか道徳に訴えるものは、聞いている分には心地いいもんだと思う。オバマ大統領が「子供たちの未来を抵当に入れてはならない」とか言ったり、小泉さんが「今の痛みに耐えて、あすを切り開こうとする米百俵の精神」って言ったり。言っている間は、どれも支持を受けたと思うんだけど、冷静になってみたらみんな見向きもしなくなったりでね。みんな勝手だよね。

オバマ大統領なんかは、そこんとこもよくわかってるみたいで、演説に「冷笑家は笑うかもしれないが」なんていう留保がついていた。そのとおり。ぼくのような冷笑家は笑ってしまうのである。

話がずれてしまったけど、つまり何が言いたいっていうと、感情とか道徳に訴えようとすることによって物事は進むってことね。好きこそものの上手なれっていうくらいだし、感情的に共感するようなものっていうのは、やっぱりうまくいかせようとする気持ちが大きくなるもんで。ただ、その感情に訴えるというのを、最近どうも皆様やりすぎてるきらいがあると思うんだ。最近というか、これは、なんだろ、日本社会に共通のことなのかな。

前のエントリにも書いたけど、マスコミの人たちが「派遣村の人たちはかわいそう」とか「霞が関の官僚は天下りとかしてないで、ハローワーク行け」とか、国民のガス抜きなのか、馬鹿にしているのか、感情を刺激するような発言をするわけですよ。これでマスコミの誘導どおりに感情的に踊らされているパンピーも十分に馬鹿なんだけど、ネット上の住民も結構おバカっていう。彼らの世論はもっぱら「派遣村の多くはそもそもいい年して、仕事をえり好みして定職にも就かずに、派遣社員であり続けた本人の責任」なんて言ってるモノで、これも結局突き詰めれば、派遣村にいる人たちとほかの人(たいていは自分自身なんだろうけどさ)を比較して、こんなにも頑張っている人はいるのに、あのざまは自己責任以外の何物でもないだろ、っていう感情論でしかないわけ。感情論を馬鹿にする割に、感情論でしか語れないネット上の住民には幻滅するんだけど、それもまあいろいろな人がいるから仕方ない。

もちろん自己責任の側面もあるんだけど、企業として好況の時にはたくさん人手が要って、不況の時には解雇できるようなシステムが出来上がっていたということは何を意味していたんだとか、そういうことだって分析可能でしょう?ぼくは専門じゃないからできませんけどね。あしからず。
まあでも一応私見としては、派遣村の話から見えてくるのは、まだまだ労働者の流動性が弱いって話で、首になった人間をどこに振り分けていくかということがまだまだ見えていないのが一番の問題じゃないのかなって思うけどね。以降は、経済学部の方よろしく。
官僚の天下りの話だって、官僚は馬鹿じゃないわけで自分たちの給料がほかの民間に行った連中に比べたら、天と地ほど違うことだってわかっているんだと思うし。霞が関の若手なんか、民間の連中と変わらないくらい(むしろそっちよりも激務かもしれない)働いてるのにね。つまり天下りは、俸給表で決まっている分のお給料を後払いするシステムなんでしょ?早死にした場合はかわいそうだけどさ。だから天下り禁止なんかしたら、それこそ働く連中の士気も下がって組織が動かなくなることだって想定しなくちゃならない。もし本当に公務員制度改革をやるんだったら、公務員とはいえ無能な人材は首にできる、民間からのハンティングを今以上にやる、俸給表の額を大きく上げる、くらいは総合的にやらないといけないと思うし。今の政治状況としてできるかどうかとは別にして、今の国民感情的にはそもそも官僚の給与を上げるって話も感情的に許さないくらいでしょ?そしたら、そんな政策できるはずもないわけで。

要はね、感情とか道徳とか訴えるのは勝手だし、そうやれば盛り上がって物事はうまく進むんだけど、そのせいでたくさん本来やらなきゃいけないことが犠牲になっているってことなんだよね。
さらに個人的に腹立たしいのはさ、司法がそれに便乗しているって現実。

この前裁判所がいわゆる「派遣切り」について、いろいろ要件つけて文句つけて厳しく糾弾していたけどさ、そんなことしてたらいつまでたっても不要な産業に人材が集まり続けて、必要な外食産業とか介護福祉産業には労働力が回らないで、全体としての景気回復は遅くなると思うんですけど。
そこまでの判断力は司法にはないって言えばそれまでだし、司法の性質としての「少数者の人権保護」と、その要請が社会的になされたことっていうのが、派遣切りに対する司法の判断の背景にあるんだろうけど、そもそも労働力なんてものは市場の需要と供給で決まるもんでね、そこに司法の振りかざす正義の入り込む余地なんてほとんどないわけですよ。それを無理やり入れようなんてするからおかしくなってしまう。
まあ、司法権としては十分に仕事をしたといえるのかもしれないけどね。市場の需要と供給を(ただ単に補助金をつぎ込むのではなく)国策として一定の方針を示したり、減税したりで、新しい市場を民間が作り上げるように政策を上げていくのは、司法権じゃなくて立法・行政のお仕事だから。司法の判断は、怠けてる立法・行政に潜在的な成長力を上昇させるための明確なプランを作り上げるように、間接的に圧力をかける一手段なのかもしれないしね。でも裁判所判断にただ乗りして、派遣労働者の首きり禁止とか言ってた野党とかもいるけどね。皮肉が通じない奴め(笑)

と、最近合理性原理主義者になりつつあるぼくですが、毎日適当に生きてます。