解決策のない話

web進化論の人が言ってたんだけど、この国ではネットは馬鹿と暇人のものらしい。
まあ、一理あるような気もする。現状で支配的なコンテンツを頭に受けべて見ると、mixiとか2chとか・・・ほとんどは馬鹿用か暇人用だよね。そりゃその通りだよ。自分を高めるツールというよりかは、遊ぶツール。

別に、遊ぶことに使うことに全然否定しようとはしてない。そもそも個人のネットの使用に目的をつけろというのも、そんなの個人の自由だろと思うし、もっと言ってしまえば、自分を高める(笑)ことが何の意味があるんだよ、っていうのもあるわけ。それよりかは、ネットで個人がもっと自分のことを発信できるようになったことを評価したい。

それに対してやばいのが、出版社とか新聞社とかマスコミとかのように見える。100%ネットのせいだとは言わないけど、実際ネットの隆盛につれて、これらの支配力は明らかに落ちている。赤字の放送局も東京キー局で出てきたらしいし、もう結構やばいのかもしれない。で、困るのはもちろん企業なんだけど、そこで勤めているプロのライターさんとか記者さんはもっと大変だと思う。もし上記のマスコミ系が儲からなくなってしまったら、彼らはどうするんだろう。ネットを使っての収益を上げる仕組みが問題になるんだけど。

ネットが恐ろしいのは無料なところで、ここを貫く限りたぶんこの問題はどんつまりだよね。今までは本とか新聞とかの紙媒体を作って、それを売ることで収益を上げるシステムが出来上がっていた。でも、それが無理になるかもしれない。そうなったときに、じゃあ、プロの物書きはどうやって食ってくのか、そのスキームが全く描けない。新聞社が実験的にニュース配信に有料会員を募ってみたりもしてるけど、結局全ページジューの三分の一も会員になってくれないらしいからね。そうなってくると、お金の有無でニュースを伝える速度に差をつけるとかいうことになるのかな。結局は転載されるから、意味ないけどね。


たぶん、企業もそういう仕組みを今必死に模索しているんだろうけど、解決策が見当たりそうにないよね。かなり厳しいことになると思う。
一応漫画とか読みたいです!っていうわれわれにとっては、プロの人たちにどうやってお金を儲けてもらうかっていうのは、いかにしてお気に入りの作家さんに作家という職業を続けてもらうか、ということと同義なわけ。
別にネットを否定しているわけじゃないんだけど、ネットのせいでプロの漫画家さんとかがいなくなったら悲しいなって思う。


この現象って、室町時代に京都の貴族文化が全国の農村へ波及していって、全国的に連歌・猿楽・茶の湯とかが広まった過程に似ているような気がする。連絡網の発達とか、中央の弱体化とか、文化の庶民への伝播とか・・・歴史は繰り返すってことかな。

そうやって考えると、プロの人がアマになったりするのは、長い目で見れば文化レベルの向上につながるように思える。きっといいことだよ。