ひとりごと

うちのゼミでやる模擬裁判の話なんだけどね。うん、またなんだ、すまない。謝る気はないけどね。

まあ、そんなこんなで事案をひたすら読みこんだから、大体勝てそうか負けそうかわかってきたんだよね。
ぶっちゃけ、負けそうwつうか、勝てる気がしない。

事案自体は、たぶん岡山地方裁判所平成15年3月3日の判決とかの焼き直しだと思うんだよね(最高裁判例を使うんじゃなくて、地裁の超マイナーな判例を持ってくるところがいやらしいよね・・・)。それを主にして、他のいろいろな事案を組み合わせた感じだと思うんだが、違うかな。

とっても端折って説明すると、あるところにAさんがいて、Bさんにお金を貸してあげたっていう話で、BさんはCさんに連帯保証人を頼みました!っていったんだけど、実はCさんのサインと印鑑を勝手に使って契約書を作っていて、その時にAさんはその契約書を基にして、Cさんからお金を払ってもらえますか?っていう問題なんだろうと思う。たぶん。

でさ、一番悪い奴はBなわけ。だって、Bは自分が金を借りたいからって、勝手に借りておいて、しかも挙句の果てに、他人の名前を勝手に書いて、印鑑を使ってるんだから。ほんとは、Bからサラ金に借金をさせて金を取り返すべきなんじゃないかと思うんだけど、今の法律はそうじゃなくて、連帯保証を結んでいる以上は、BでもCでも資力のありそうなほうに、Aはお金を取り立てに行けるんだよね。ひどいとは思うけど、そこは制度だから仕方ないというか、何というか。

で、ぼくはAさんの代理人弁護士の役なんだよね。ってことは、個人的にはどれだけCがかわいそうと思ったとしても、Bが無資力とかでお金を持っていなくて、とりたてるだけのお金を持っていなかったしたら、かわいそうだけどCに取り立てざるをえない。で、Cに取り立てるってわけで、Aさんが持っているCさんに対する、保証契約に基づく保証債務返還請求を裁判所に提起することになる。

で、この裁判だと、その保証債務が本当に存在してるってことを、裁判で証明しないといけないわけ。それ自体は結構簡単なんだよね。契約書があるから。契約書を裁判時に証拠として見せればいいと思うんだ。んで、どこが問題なのかというと、民事訴訟法228条4項がキーで、それを読むと、契約書の効力発生についてなんだけど、「私文書は、本人または代理人の署名または押印がある時は真正に成立したものとみなす。」ってあるんだけど、この条文に従うと、契約書に本人の印鑑がありさえすれば、それを本人以外の人が押しておようが、本人が押したってことになって、契約書の内容が認められるんだよね。

ってことは、我々保証契約の存在を証明したい原告代理人たちは、基本印鑑証明書とかを持って、それで契約書の印鑑が本人のものだっていうことさえ証明できれば、基本的には形式的証拠力は持つわけだよ。うん。だから、我々は、基本的に印鑑証明さえ手に入れられればいい。

だけど、被告側が「そんな契約はしていない」って主張してくることがありうるんだよね。で、判例を見てみると、結局、被告から保証意思を否認・反証されてしまったから、原告側が連帯保証契約の成立に関する証明責任を負わされてしまって、結局、証明しきれなくて、原告が負けてしまっている。今回我々がやってる事例もきっとその判例と似たような事例で、まだ我々が知らない間接事実がたくさんあるらしいから、たぶんBが無資力とかで、無資力のやつの間の貸金債務の連帯保証債務を負うはずがない、とか、契約書のサインがCの筆跡とは違うとか、たぶんいろいろあると思うんだ。


実際、この事案を考えた上の人たちも、原告代理人側が2日でここまで来るとは思ってないと思うんだけど、現実問題、僕たちは事案検討した結果負けそうなので、ピリピリしております。たぶん冷静にやれば負けてしまう事案なので、相手からボロが出てくるのを待つか、相手側の証人の証明力をひたすら下げるか、って感じなんですが、一方で、勝手に他人にサインされて印鑑押されて連帯保証人にされてしまった人から金を取るというのが、本当に正義なのかぼくにはわからないです。ただ、それはそれ、これはこれ、ってことで、訴訟自体はどんな手使ってでも勝ちますけどね。それは譲れないけど。


そんなこんなで、最近、正義が良くわからなくなってきたのですがどうすればいいでしょう?
学者にでもなろうかな。実務家になれる心臓はない気がする。