コンテンツの力はどこまで有効か

気になるアンケート結果があったので貼っとく。
マンガ雑誌最新号が「ウェブで無料」に賛否 - CNET Japan

今回のこの試みは、「マンガが売れなくなって、破綻しかけている現状の収益システムをどう変えるか」という問題によるものだろう。収益を上げる≒売り上げを伸ばすことなのであるから、どうしたら売れるようになるのか、を考えようと思う。

売れるということは人気があること、とまで構成するのはたやすいんだけど、ここから2種類の人気に分化するように思われる。
一つは、一定のコアな層に作品を楽しんでもらって人気が出ること、ここではこれを狭義の人気と呼ぶことにする。もう一つは、どういうわけかは知らないけど自然発生的に人気が出てきて(広告代理店とかに作られた人気もあるけど)、多くの一般人に人気が出るというケース、これを広義の人気と呼ぶことにしよう。この両者の違いは、作品を求める姿勢が根本から違うのが特徴になる。前者は、作品を楽しむことに重点があって、世間の評価とかいうよりかは自分の面白いと思ったものを楽しむことになる。このことは、コンテンツの質的な優位によって、マンガを売ることを可能にする。一方で、こちらはどちらかといえば評価されないんだけど、コンテンツの中身よりもみんなが読んでいるから自分も読む、みたいなケースで、コンテンツの中身にはあまり重きを置かれない。

後者なんかは、結構テレビとかにも言えることで、みんながあのドラマを見ているから自分も見ようという気持ちになって、ドラマの視聴率全体が上がる、という現象を引き起こす。まあ、そういう人気っていうのは邪道だと切って捨てて軽蔑する向きもあるんだろうけど、それは全く分かってない近視眼的な話で、人間の人気は本来はそういうものなんだろうって思う。つまり、マンガにしろテレビにしろ、娯楽のコンテンツを楽しもうって思うのは、それをすることで誰かとそれについて話すきっかけになるからだということだ。たとえば、学校でも職場でもいいんだけど、みんなとある一定の会話をすると思うんだけど、それをするために娯楽を享受するっていうのがある意味健全な楽しみ方だって言いたいわけ。「今週のワンピ見た?」「見た見たー」見たいな会話が繰り広げられるのを想像してほしい。やっぱり誰かと会話をするっていうのは人間の結構大きめの欲求だから、それに根ざして人口に膾炙していくことって別に邪道でもなんでもないって、個人的には思う。

ただ問題なのは、そういう立場の人は良くも悪くも「みんなの話のネタ」になればいいんであって、そのコンテンツが相対的にどこまで面白いのか、っていうことを問題にはしない。実際、なんでこんなのが人気あるんだよwwwっていう作品も、みなさま一つくらいはあると思うんだけど、みんなの中で人気になるっていうのは、結局多くの目にさらされるってことが前提になっているわけで、たとえ面白い作品でも、大きめの本屋さんにいかないと置いてもらえないような月刊雑誌とかだと、なかなか人口に膾炙していくっていうのは難しい。
作り手は、「売れるようにするためには、中身を充実させよう」とか考えるのかもしれないけど、それは必要なことでもないように思える。

この根源からパラレルに考えると、
1、前者を前提に考える→ターゲットはコア→売れる冊数は少ない・母数の変動は少ない・単行本での収益見込み
2、後者を前提に考える→ターゲットは大勢→たくさん売れる・母数の変動大・雑誌と単行本の冊数のかい離
となるわけだけど、そこから何とか糸口は見いだせないものかな。

書いてるうちにめんどくさくなってきたから、今日はこのあたりでやめ。