エロゲ・アニメ表現規制について

内容的にやばかったら消します。

各所で凌辱ゲーとかの規制の話が盛り上がってるから、自分なりに考察を加えておこうと思ってね。

まず前提として確認しておきたいんだけど、今回の措置っていうのは「ソフ倫」って民間団体の組織が一定の性暴力を伴うゲームに関して自主的に規制をかけようってことで、今のところ国とか国際機関から直接的に制約を受けているってことではないってことに注意しておきたい。


ってわけで始めるけど、端的に言って何が問題かっていえば、この規制が表現の自由を侵害しているんじゃないってことだよね。だから、話の大筋は表現の自由から発展させていこうと思う。表現の自由っていうのは、憲法21条1項で保障されているんだけど、これは何もみんなが思ったことを言いたい放題に表現できるっていうことを表現しているわけじゃないわけ。もちろん「内心の絶対的自由」って言って、個人が心の中でどんなことを考えていようが憲法でそれになんらかの縛りをかけることはできないんだけど、表現するってことになるとちょっと事情が変わってきて、その表現を聞いて不愉快になったり、不利益を被ったりする人たちが出てくるから、制約を受けることが許されるようになる。だから、表現に対してなんらかの規制をかけること自体は、別に表現の自由を侵すことでもなんでもない。

じゃあ、どういう表現が制約を受けるのかっていうことなんだけど、一口にそれを説明するのは難しい。っていうのも、表現の自由っていうのは個人が自由に生きるためのとっても大切な手段の一つだし、個人が自由に発言したり討論することができることによって民主主義っていうのも機能していくことができるから、今の世の中にとっては表現の自由を規制することによって失われるものが多いんだよね。だから、表現の自由を規制する時には、「どういう目的(原因)で」「どういう内容のものを」「どういうやり方で」規制していくのかが、とっても重要になってくる。そして、表現の自由は原則として規制をなるべく受けないことが望ましいから、規制が必要だとしても、それは必要最低限のものであるべきだと考える。

さてここからが本題で、まず規制の目的から検討していこうと思う。ぼくは現状では規制を求めている人じゃないし、立法者でもないから、そういう「神の御意志」は推測でしか言えないんだけど、無難なところで言うと「現実に凌辱ゲーが社会や、特に若い人たちに悪影響を与えているから」ってことなんだと思うんだよね。ここに第一の問題があって、「はたして凌辱ゲーと各種性犯罪に因果関係は存在するのか」ということがある。要するに因果関係がなければ、そもそも規制の必要なんてないじゃんかよってことなんだろうけど、残念ながら、このことは専門家の間でも影響を与えるって言う人と与えないっていう人とに分かれているみたいで(昔はよく「子供にテレビを見せると馬鹿になる」っていう命題を大学教授が証明しようとしてたりしたけど、あれなんかも意見がいまだに分かれたままだよね。結局証明なんか無理なのかもしれん。)、厳密な因果関係がなくとも、社会通念上凌辱ゲーが性犯罪等の発生に影響を与えるって意識が共有されれば、危険の発生を擬制して規制が可能である、っていう結論になるんだと思う(私見)。

じゃあ・・・あれれー?って思った人も多いと思う。なんで孕ませシーン・凌辱シーンはあったらだめで、どことは言わないけど、某国そっくりの兵隊さんが黒人さんを殺しまくるゲームは規制されないんですか?おかしくない?っていう意見だ。殺人のシーンはどうして規制されないのでしょう。個人的には、罪と罰とか読んだほうがよっぽど人殺していいんじゃないとか思う思慮の足りない傲慢な人が増えるように思うんだよね。なら、同じように殺人シーンも規制されるべきでしょう。

まあ、なんというかさ、ここから先はまったくもっての妄想なんだけど、多分、規制の目的で「凌辱ゲーとかが青少年に与える悪影響を食い止めるため」っていうのは、目的の一部にすぎなくて、他にきわめて感情的な目的があると思うんだよね。生々しく言うと、そういうゲームをやってるようなヤツが自分のうちの隣に住んでるとかって思うと、うちの子供が心配になると同時にそんな人間がいることが気味が悪いとか、パターナリズム的考えから「こういう作品が青少年たちの目に触れることは許されない」っていう意見があるんだと思う。特に欧米の方々は(って決め付けたけど、ぼくには欧米人の友達はいないから、詳しいことは知らないw)、多分、子供は大人に比べて弱い存在であって、社会全体でしっかりと守っていかなければいけないと思ってるんじゃないかなと。まだ若いぼくには(こう見えてもまだ21才です。あしからず。)、そういう発想はよくわからんのだけど。だから作品の中で児童ポルノと思わしいものは、とにかく徹底的に排除するっていう方向性をとっているし、その一方で大人の売春は法律的に有効っていう国もヨーロッパにはあるわけでしょう。違うんかな。

話は違うんだけど、そういう考え方を持ってるんだとしたら、生まれつきその人の性質的に児童ポルノにしか性的興味がわかないっていう人はどうすればいいんでしょうかね。我慢しろってか?無理じゃね?性欲と食欲と睡眠欲を我慢しろって言うのは、結構厳しいもんだと思うよ。そこで「子供たちの人生を守るため」っていういわば集団全体の利益のために個人の自由を制約するのは、それこそ個人を尊重する考え方からはかけ離れているわけで、個人を尊重しようと思ったらそんな児童にしか性欲がわかない反社会的な人であっても社会の一員として迎えるということを社会は認めているんだって考えるんだろうから、そういう人を直接にタコ部屋に放り込むみたいなことはできないよね。その考え方はよくわかる。でもきわめて利己的な意見なんだけど、もし仮に自分に子供がいて、そういう犯罪の被害にあったとしたら、ぼくは犯人なんか死ねばいいと思うと思う。そういう2面性を個人に要求してくる問題ではあるよね。究極的には、そういう遺伝子を持って生まれたことを悔みながら、来世に期待しましょうってことかな。
多分世界の流れ的には、そういう遺伝子を持って生まれてきたのなら、もうそれは今更遺伝子的欠陥人として殺すわけにもいかないから、なるべくそういう性癖が発現しないように、そういう性癖を刺激するようなものは目に触れないようにしましょうってことなんだろうと思う。でもさー、そんなこと可能なのかな(´・ω・`)何かの拍子で簡単に発現しそうな気がするけどね、特に性犯罪にまで至るような深刻な発現の場合は。そこで、2次元みたいな現実の人間の被害者のないものでガス抜きさせるっていうのも、そういう性癖の人が世の中に一定以上いるのは仕方ないんだ、そこをわかった上で、でもそれを徹底的に否定して闇に流すよりかは、まだ表で管理したほうがいいって言うのも一理あるような気もするけどね。もちろん、全面的な規制も一理あるんだけどさ。要するに発想の違いだよね。


話を戻すけど、今回の規制の話は何かしっかりした根拠があるというよりも、結構感情論ですすんでいるという感じは受けるわけ。そもそも西洋的な「子供は社会的弱者であって、大人がしっかりと守ってやるべき」という意見は、日本にそのまま定着するとも思えないし、自分の中でも結構受け入れがたい部分はある。でも、たとえば自分に子供がいると仮定したときには、隣にいる人がそういう鬼畜ゲー・凌辱ゲーを家に引きこもってやりまくってるのを思い浮かべると、規制をかけたくなる人の気持ちがわかるよっていう人も多いと思うんだよね。要するに、立場によって全然違ってくるっていうか、同じ個人でも異なる意見を持ちうるってことが、この問題をより複雑にさせている要因の一つだとは思う。
だから、まずは制約の根拠を明確にして、納得しない人たちを説得することができるようなコンセンサスを作ることが大切というかなんというか。


んで、次に規制内容が問題になるんだけど、これはこれで結構難しくて、なんで鬼畜ゲー・凌辱ゲー・2次元児童ポルノがダメで、現状として似たような内容のAVが一律的に規制されていないのかわけわからないし、そっちのほうが現実に被害者はいるのにもかかわらず、ほとんど摘発されないって現状があるし。もうこれに関してはどうしてよいのやらわかりかねるから、結局表現の自由の観点から内容は厳格に解するべきだと思う(結論が適当だけど勘弁)。

最後に、規制態様が問題になるんだけど、そもそも児童ポルノ系の制作・流通に関しては明らかに摘発が不十分なわけで、まずは規制と摘発は一緒にしていくべきだろうって思わなくもない。あと、国に法律によって規制を受けるよりかは、国の意向を反映しつつ民間団体での規制が行われるほうがいいと考える。ただ、そうやって団体がすぐに規制をしようとするのは、自浄作用があるとみるべきなのか、そうでもしないと生き残れない弱い業界だからなのか、という微妙な問題はあるけどね。


最後はとっても尻切れトンボになったんだけど、結局表現の自由は一定の法規制のもとに実現されるべきで、その範囲は限定的、規制の範囲・様態も必要最小限であるべきだってことだよね。ただ、欲望にまみれた人たちが金のために現実に小さい子供たちを売買して、性犯罪を行うようなことは絶対に認められてはならないのであって、そういう現実の被害者をいかにして救済していくのか、そのための仕組みと並行して、今回の規制の話は進められていくべきだと思うんだよね。あとはまあ若干策士な感じだけど、今回の規制は「性犯罪に寛容な国家、日本」っていうイメージをもたれることをお偉いさん達が相当に嫌がっているってこともあるだろうから(ぼくだっていやだし、東南アジアとかに売春ツアーに行ってきたとか言ってる親父たちはマジで懺悔してこいって思わなくもないんだけど)、そのあたりのイメージの向上をいろいろな方法で図っていくっていうのも間接的には必要だよねってことで、中身がない頭なりに考えてみました。


<追記>
余りに漠然としすぎる内容だから書こうかどうか迷ったんだけど、書くことにします。よく法によって守られるべき利益、っていう言い方をするし、今回のように女性の性的自由は法律によって守られるべき利益だと思うんだけど、エロゲとかアニメみたいな現実の被害者がいないものに関してまで法によって守られるべき利益があるとするのはいささかやりすぎの感があります。法で守らなくてもよいものを法で守るというのは、それは個人や団体の自主的な判断によって守られるべき利益を法律という単純な方法で守ろうとしているだけにすぎないという気がしています。法という容易な手段に任せるのは短期的な問題の解決には役に立つかもしれませんが、それによって失うものもまた多いと考えるべきです。