現状否定

最近某動画サイトで某新興宗教の勧誘ビデオを見た感想。

まあ、その内容について詳しく書いたりはしないつもりなんだけど、一応抽象的に概括すると、抑うつ的・悪感情・否定的な信じるまでの自分が、躁的・良感情・肯定的な自己を宗教によって獲得するっていうストーリーなんだよね。よくありがちというか、なんというか、古典的といえば古典的。この話のコアは言うまでもなく、それまでのマイナスイメージの現状を完全に否定して、まったく関係ないプラスイメージのユートピアがあると信じ込むところ。仮定するだけじゃなくて、信じ込むわけ。はいはいワロスワロスって感じではあるけどね。
現状を完全に否定して、ユートピアを仮定してそれに流れていくっていうのは、本来人間だれしも持っている幻想だと思う。それが個人のレベルであらわれたものが、宗教なわけ。自分のこれまでの人生とかを否定して、肯定的な将来が待っていると仮定する点では、革命とかもそうだよね。革命なんかは、現状否定が社会のレベルで現出する現象なんだと思うわけ。たとえば、王様に圧制をくらってひーこら言いながら働いている農夫がいるとしてだよ、その人が「もうオラっこんな仕事いやだ、こんな世の中いやだ」って考えるとするじゃん。そしたら、誰かがそう思っている人にささやきかけるわけ。「そうですよ。よく考えてごらんなさい。王様もあなたも人間という点ではちっとも変わりないではないですか。それなのに、どうしてこうも待遇が違うのでしょう。あなたは一日中働いているのにわずかなお金しかもらえず、王様はほとんど働かずに毎日舞踏会ばっかりで、豪華な食事を食べてばっかりいる。おかしいとは思いませんか。おかしいのは今の社会システムです。あなたが現状を変えようと思ったら、そこを変えるしかないでしょう。あなたのような農奴全員がきちんと報酬をもらい、正当に人間らしい生き方ができる社会を一緒に作りましょう。」なんて言う、革命家がいたりしたのかなあって思ったりする。

ともかく、現状を否定してユートピアがあると思い込んで、その創設を夢見て活動してきた人は、人間の歴史を見れば、たくさんの人たちがいるわけだよね。たくさんの人たちがそういうことを思って、社会運動にまでなったこともあった。良い結果を生んだものもあるけど、ほとんどは悲惨だよね。


ということを思ったりしたのでした。