地震以後の生活について

どうも、ぼくは忘れっぽいというか、危機感が足りないというか、記憶をいいようにねじ曲げてばっかりというか、3月11日の地震とそれに続く福島第一原子力発電所のことはさっぱり忘れ始めている。
それよりも、今は新社会人の生活に慣れるのが精一杯で、そっちはちょっと気づかないようにしたい気持ちもあったし、尤も地震発生後から我々が直面している問題のほとんどは全く解決なされていないという現状があるのにも関わらず、ずっと地震直後の緊張感を保ち続けていたら体が持たないという気持ちもあって、ぼくは現状を意図的に無視し続けていたのだ。

まあ、正直ぼく自身が無関心であるのは構わないだろう。
そもそも、ぼくは今は埼玉に住んでるんだけど、空気中の放射性物質の濃度が上がりましたよと言われたところで、実際それがどこくらいガンで死亡するリスクを高めるのかは学者でもないし、よくわからない。
それに、そのリスクの向上は、何を食べたかにもよるだろうし、それ以外の要素、すなわち遺伝や不規則な生活、アルコール・タバコの摂取の有無にもよるだろう。
今の日本人の3人に1人がガンになって死んでいるらしいから、そんなことを考えると、今回の放射能物質がガンで死亡するリスクを高めるとか考えているよりも、あんまり気にせず生きるという選択肢もありなのかもしれない。

ただ、もちろんこの考えを他人に押し付けたいって思っているわけじゃないし、それはやっちゃいけないことだろう。みんな自分がどう生きるのかを決定する自由がある。
ぼくだって、せめて今思っていることくらいは整理しておく必要があるんじゃないか。

何度も繰り返していうけど、ぼくは事件の当事者じゃないし、詳細を知るものでもない。そして、情報を見た上でそれを科学的見地から「正しく」判断できる学問的素養を持ち合わせているわけでもない。

でも、一応考えておいたほうがいいんじゃないかと思って書いてみる。
間違えているところがあったら直してほしい。

3月11日、福島第一原子力発電所の原子炉3つは破壊され、1つの原子炉でも使用済燃料がひどいことになっているらしい。もちろん、おいそれと中を確認することは出来ないわけで、備え付けの計器類の示す値から内部で起こっている状況を推測している状況なのだろうから、これが正しいかどうかすらぼくは知らない。
そして、原子力発電所の近くは事故によって飛散した放射性物質が多く堆積し、原則として人が住むことができなくなってしまった。このような問題は今までに人類が直面したことのない問題なのだろう。

そして、この事故に対する根本的な解決策はまだ提示されていない。
すでに発表されている工程表では年内かそれに近い期間での解決を目指すということになっているが、工程表はあくまで目標であって、そのとおりに解決できるのかどうか確信を持っている人なんて誰もいないのだろう。
僕たちはこの困難な問題に対して、長い期間向かい合わなければならないし、問題解決を急ぐ一方で、傷ついた僕たち自信を再生させなければならないのだろう。

もちろん、ぼくだってこの事故がこのまま収束していってくれることを祈ってるし、ここまでしなくても結果的には良かったんだよね、って笑えるようになることを祈っている。

でもそうなるまでには、長い困難を経験する必要があるんだろう。
そして、それがどれほどの困難か、どれほどの長きにわたって続くのか、誰も予想できない。


書いてみたけど、きっとみんなこんなことは分かっているのだ。
でも、そんなことを気にしていたら生活できない。みんな気にしない振りをしているんだろう。

でも、それは強制されるべきではないし、キャンペーンを張っていかにもそれが正義とするような考え方でもない。

多分、地震後の生活に求められているものは、そういう分かりやすいものじゃなくて、もっと困難なものなんだ。
時にはみんなの判断が分裂しても、それを尊重できるような、そういう雰囲気なんじゃないか。